公園の草木

公園の草木の観察記録を書いています。

正月の昔の遊び

122日(日)
 
 ここ23日寒い日が続いた。昨日などは、雪がぱらっと散るような天気であった。今日は晴れて太陽が出ているが、風が強い。9時から近くの小学校で、昔の遊びが行われているので、顔を出してみた。案内を見ると、懐かしい遊びが沢山出ている。今の子供たちは、どの様に対応し、楽しんでいるか見るのも楽しみである。
 校門を入ると、竹馬を楽しんでいる姿があった。スタッフの人が、高さを調節したり、支持したりしている。慣れた児童はゆっくりと歩き始めている。昔は、竹馬をつくることから始まった。どこからどのようにして探し出したか、覚えていないが、2本の竹を集めた。足をのせる横木には、家にあった薪を2本使い、針金で止めた。出来上がった竹馬を思い出すと、いま児童が手にしている竹馬とは比較にならない程惨めなものに思える。それでも、乗れて、歩き出せたときは嬉しかった。その時の感動は今でも覚えている。慣れてくると、年上の人がしているように、足を随分高くしてみた。高いところから見下ろす景色は格別だった。何人もの児童が、竹馬に乗り歩こうと真剣になっている。無我夢中でやっていると思う。昔のあの感動を味わおうとしている姿が思い浮かぶ。
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竹馬乗り

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竹馬乗り
 
 中庭では竹トンボを飛ばしていた。両手の間に竹トンボの軸を挟み、勢いよくこすり合わせ、離すと、竹トンボが上へ飛んで行く。この遊びも、昔は、竹を削って竹トンボをつくることから始まった。竹トンボにする竹は、孟宗竹の竹でなくてはだめで、孟宗竹をのこぎりで切り、なたで割って適当な太さにする。それを小刀で削って翼をつくる。薄い翼をつくるのがコツで、小刀が上手く使えないとできない。最後に、中央に穴をあけ、そこに細く削った軸を押し込んで出来上がる。ここまで仕上げるのにどのくらい時間がかかったか、全く記憶がない。飛ばしてみることに夢中だったのかもしれない。上手く飛ばないときは、翼を削り直したり、最初から作り直したりした。「びゆーん」と竹トンボが飛んで行った時は爽快だった。孟宗竹で作った翼をシノ竹で作った回転軸につけて、翼だけを飛ばす竹トンボをつくった思い出もあるが、作り方が思い出せない。
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 竹トンボ

 玄関前では、こま回しが行われていた。スタッフの人が紐の巻き方から教えていた。簡単のようだけど、紐の巻き方にもコツがある。まず、こまをどのように投げて回すかによって、紐の巻き方が違ってくる。一般的には内側へ巻いていく。一回りひとまわり締めながら巻かないと、紐の山が崩れてしまい、こまが投げられない。また、こまを投げるときもコツがある。投げながら、紐を強くひかなければならない。この紐を引くタイミングが難しい。紐をまき終わった児童の多くは、上手く回せていたが、引くタイミングの分からない児童の投げたこまは遠くへ転がって行ってしまった。昔は、こまにもいろいろあった。最初に見たのは木ゴマで、芯をはじめすべてが木からつくられていた。次に見たのは、こまの縁が鉄製になったものだった。これだとこまがひとまわり小さく、扱い易くなった。次に出てきたこまが、いま児童が使っているこまである。軽くコンパクトに出来ている。このこまは床や地面で回すというよりも、掌の上で回すものだった。また、手のひらから紐に移動させ、綱渡りをさせるものだった気がする。
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こま回し

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こま回し
 
 校庭では、凧揚げに挑戦している児童がいた。何人もの児童が凧を持ち一所懸命走っているが、凧揚げらしくならない。凧そのものがビニールシートの切れ端のようなもので、糸が短過ぎるが、何といっても風が強すぎた。この凧についても色々な思い出がある。昔は、凧も自分で作ったものだ。凧の骨になる竹ひごからつくり始め、紙を貼る。凧には尾を付けないと。バランスが取れず、くるくる回って落ちてしまう。このバランスとりが難しかった。最初は、タコ糸を使って揚げていたが、そのうちタコ糸では重くなるため、普通の縫い糸を使って揚げたことを覚えている。
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凧揚げ

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凧揚げ
  
 校庭では、もう1つの遊び行われていた。正月遊びの代表的な羽子板である。見ていて気の毒になるくらい風が強い。羽根を手から放し、打とうと羽子板を近づけると、既に羽根はどこかへ行ってしまっている。たまたま羽子板にあったとしても羽根は風に流されて、相手まで届かない。相手が打ち返す場面は見ることが出来ない。こんな状況だが、やっている児童は楽しそうである。これも1つの思い出に残ることだろう。
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羽子板

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 羽子板

 室内でもいろいろな正月遊びが行われていた。これは人間すごろくのようだ。小さい時は畳の上やこたつの上で、家族が揃って楽しんだゲームである。毎年正月が近づくと、今年はどんなすごろくが出てくるかみんな楽しみにしていた。
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 人間すごろく

 輪投げが行われている。この遊びは、夜店などで行われていたようだが、友達や家族で楽しんだという思い出はない。
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 輪投げ

 2人で神経衰弱を楽しんでいた。この遊びは1人で出来るし、数人で楽しめる。最も簡単なトランプのゲームで、誰でも楽しめる。小さな子にとっては記憶力を高めるのには適したゲームのようだ。子供とやると、大抵大人は負けてしまう。
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 神経衰弱

 百人一首も行われていた。教室へ入った時は、1ゲームが終わったところだった。百人一首の歌の内容を理解しながら楽しむと、昔の生活の一端が分かってくるので、子供、大人にもためになる。ただ、カードを早くとることに夢中になった競技になると、余りためにはなりそうとは思えない。
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 家庭科室へ入ると、餅つきが行われていた。綺麗な臼が用意され、ボランティアさんが餅をついていた。これは遊びというよりも、昔の風景である。正月が近づくと、彼方此方で餅つきの風景が見られた。「明日は、あそこの家で餅つきがある」と知ると、子供たちは見学に集まったものである。餅つき機がつくられ始めてからこの風景はめっきり少なくなり、今では見ることがなくなってしまった。懐かしい風景である。
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 このほかにも、まだ色々な遊びが披露されていた。昔の何気ない遊びが次第に継承されなくなっていることは寂しいことだが、時代の流れだろうか。昔は、今のようにつくられた遊びでなく、自分たちで遊び道具をつくって遊んだ。生活が豊かになったと言えばそれまでだが、創意工夫が育たない環境へ進んでいることは 危惧される事だと思う。

撮影:121


  記  平成29年度121日(土)