京急事故 事故を拡大したのは京急の安全対策の甘さ
1.鉄骨が切断されたままの運行開始した
2.危険を知らせる信号機の位置は旧態の時速100㎞のままのようだ
3.速度を落としたのは9月7日のみ、今は時速50㎞以上出ているようだ
事故が起こったのは、9月5日、午前11時40分頃である。事後直後トラックが燃焼し、黒煙と炎が上がり、騒然とした光景に包まれた。何故、このような大きな事件に発展したのだろうか。
第1の直接の原因は、トラックの無謀な踏切への侵入であることであるが、トラックの運転手だけに責任を転嫁させる風潮はどの様なものだろうか。
2次的に被害を拡大させた原因が京急にあることが、あまり問われていない。色々な報道があるが、このような事件へ発展した根本的な原因を報道しているものを見かけない。
9月7日(金)の午後から、運行を再開したことは、利用者を始め、多くの人が歓迎したことと思う。しかし、この運行が次の事故を引き起こしかねない状況の下で運行されていることを知っている人はどれほどいるだろうか。報道関係者は復旧作業については大々的に報道したが、大きな危険を伴った運行開始に気付いていないようだ。
復旧したというもの、架線を支持している鉄骨は途中で切断されたままにあり、簡易的に木材で補強されているにすぎない。このままだと、快速特急の振動で倒れる危険性はないとは言えない。周りは塀で囲まれており、近くを通ってもその様子は気付きにくい。
事故現場に防壁塀をつくる前は、ここを快速特急は時速100㎞で走っていた。この時速100㎞で走ることを想定して、危険物検知器、信号機が設置されたままで、事故を起こした現在時速120㎞に速度アップしても、信号機の位置は変更されていないようだ。信号機の位置を変更しない代わりに、現場から340ⅿ離れた信号機を、そこから260ⅿ離れたところで運転手が目視し、ブレーキをかける方法を採用していたことになる。
切断された鉄骨のままの運行、運転手への責任転嫁で終わらせしようとするようでは、京急は事故の責任の重さを感じていないように思えて仕方がない。
記 2019年9月9日(月)
京急事故を考える
9月8日(日)
5日から24時間体制で多くの人が出て普及作業が急がれた。6日、9時過ぎにはクレー車などが到着し、破壊した鉄骨の除去作業から始まり、慌ただしい動きが始まった。
破壊した鉄骨の除去作業から始まった
午後3時には、超大型のクレーン車がゆっくり線路内へ入って来た。横に傾いた車両の方ではクレーンに掛けるワーヤーなどを取り付けに時間がかかっていた。
超大型のクレーン車
1両目にはトラックの残骸が絡まっているようで、車両を少しずつ動かしながら、並行してトラックの破片の除去作業が行われていた。また、車両が倒れるのを防いでいた、ポールや枕木も次々と外され、運び出された。
1両目がクレーンで支えられる
枕木
浮き上がって来た1両目
夜の9時30分近くになって、クレーンに吊り上げられた1両目が台車に載せられ、何時もの水平状態へ戻った。
台車に乗った1両目
横倒しになった1両目が運び出される準備が終わると、架線の取り付けの作業が始められた。曲がった鉄骨は途中で切断さて、支柱で支えられ、垂直に戻された。
鉄骨の工事
架線の取り付けの作業
7日の朝になると、横倒しになった1両目が運び出され、架線の工事が急ピッチで行われていた。昨日に続き30度を超す暑さの中なので、作業する人は大変である。
架線の工事:鉄骨
京急の方では、運行開始について、昨日の夕方、7日の早朝、7日のお昼頃・・・と変更している。早めに運行開始することは、多くの人の望んでいることであるが、「安全」ということを忘れてはいけない。10時30分現在、切断した鉄骨の部分が完全に修復されず、不安定の状態のままである。
架線の工事:鉄骨
追伸
12時30分過ぎ、上下線の試運転が行われた。しかし、切断された鉄骨は支柱に支えられたままである。電車は走れる状況になったが、鉄骨がこのままでは、乗客を乗せて走るのは危険である。このまま120㎞の快速が通過すれば、いずれ次の事故が起こることは避けられない。
試運転
切断されたままの鉄骨
撮影撮影:9月6・7日
2019年9月7日(土)