神奈川宿歴史・史跡めぐり 3
5月31日(木)
浄滝寺
滝野川沿いにある寺で、川を挟んで見学した。この寺を調べて行くと、資料1では、「妙湖という尼が住んでいた庵で、日蓮がここを通った時、教えを聞いて改宗し、日蓮宗の寺になった。」というようなことが書かれていた。また、神奈川区史によると、「『新編武蔵風土記稿』に「古へ境内稲荷祠ノ辺ニ滝アリケルニ妙湖ソノ下ニ庵室ヲムスピテ居レリ・・・」とある。「稲荷祠ノ辺ニ滝アリケル」に興味が惹かれた。浄滝寺付近に稲荷祠や滝の名残があるのだろうか。因みに、ここの川の名前は滝野川になっている。何か関連がありそうだ。江戸末期の横浜開港時にはイギリス領事館に充てられていたという。
川向こうの浄滝寺の説明を聞く
土橋を渡り、左へ曲がると、民家の入り口のようなところに神奈川の大井戸がある。「江戸時代には東海道中の名井戸に数えられていた」と案内パネルに書かれている。水道生活をしている現代の人には想像できない。それだけ水が貴重だったと想像できる。アメリカの宣教医シモンズやヘボンさんもこの井戸水を使用しっという。
神奈川の大井戸の見学
神奈川の大井戸の説明パネル
宗興寺
宗興寺とヘボン博士の説明
宗興寺とヘボン博士の説明を受ける
ヘボン博士と米宣教医シモンズのことが書かれている碑
権現山(ごげんやま)へ上がった。山は沢山の樹があり、日陰が出来ている。暑い中を歩いてきたので、日陰は嘘のように気持ちがいい。権現山(ごげんやま)と聞いてもピンとこない。今は権現山(ごげんやま)と呼ばず、幸ヶ谷公園と呼んでいる。当時は今よりもずっと高い山で、高島台(高島台)へとつながっていたという。今は権現山(ごげんやま)と高島山(高島台)の間は谷になり、京急とJRが通っている。機械のない時代にこれだけの谷をつくることは至難の業であったと考えられる。
権現山(ごげんやま)はサクラの名所で、サクラの開花時期は多くの人で賑わう。最近の情報では、ここのソメイヨシノが近く伐採されるという。ソメイヨシノは樹木としての寿命が来ているので、近々ソメイヨシノに変わってジンダイアケボノが植えられる予定だという。
日陰で権現山(ごげんやま)の説明を受ける
撮影:5月27日
記 平成30年5月30日