公園の草木

公園の草木の観察記録を書いています。

神奈川宿歴史・史跡めぐり 5

62日(土)
 
 本覚寺で休んだ後、坂を下り、洲崎神社を目指した。坂を下るときは現在の横浜駅桜木町駅の方角の景色が見える。つい最近まで、ここから中区の山々が臨まれたが、高層ビルの立ち並んだ今は、横浜駅近辺しか見ることが出来ない。昔の人と比べると、視野が狭くなり、この景色が当たり前の景色になって仕舞った。昔の人が景色を見て抱いた雄大な気持ちを、今の人は抱くことが出来ない。
 青木橋を渡り、宮前商店街へ入って来た。ガイドさんの話だと、この道には昔の名残がよく残されているという。坂を下ると、左側に洲崎神社がある。ここへ入るのは初めてである。ガイドさんの後をついて入った時はここが洲崎神社とは分からなかった。境内へ入ると、樹が生い茂っており、薄暗かった。洲崎神社は大きな神社というイメージを描いていたが、想像とは違っていた。ここに宮司さんは住んでいるのだろうか。
 下記の資料によると、「洲崎大神は源頼朝安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して建久2年(1191)に創建した」と伝えられている。また、この神社の別当は隣にある洲崎山普門寺であった。さらに、神社前から海に向かって延びる参道が第一京浜に突き当たるあたりがかつての船着場であった。「宮司さんは住んでいるのだろうか」と調べると、下記の資料の中に、「神主を吉田出羽と云、社の右の方に住めり」とあった。
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宮前商店街

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洲崎神社鳥居前で説明を受ける

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 洲崎神社の案内パネル

 洲崎神社から京浜第1国道へ出た。ここから先は海だったという。海を埋め立てて造られた台場へ向かった。台場へ通じる道は、京浜第1国道から一段低く成った所にある。この辺りは民家が犇いている。左へ曲がると、広い駐車場があり、その入り口が神奈川台場公園になっている。ここに海防砲台があったという。枕木のクイが撃ち込まれ、簡易なフェンスで囲まれた内側に石垣がある。この石垣が海防砲台を取り囲んでいたことになる。
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海防砲台の石垣の説明を受ける

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 海防砲台の石垣

 今は、この台場は近くの住民の公園として利用されている。公園の一画には「地図と絵に見る神奈川台場の歴史」と題したパネルが設置されており、訪れた人に昔の様子を伝えている。ここには現在高層マンションが3棟あるが、更にあと2棟が建設される計画がある。近くの入江川が埋め立てられるという。昔を伝える史跡が消える勢いは誰が止めるだろうか。現在の風景も100年、200年経てばすべて失われてしまうだろう。
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地図と絵に見る神奈川台場の歴史の案内パネル

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神奈川台場の案内パネル

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 神奈川台場公園

 台場から最後の見学地熊野神社を目指した。ここの横を最初に1度通っている。「神奈川台場の西渡り」であったと思われる直線道路を京浜第1国道へ向けて歩いた。この右側は船溜りだったようだ。昔の台場風景を想像した。
京浜第1国道を渡ると、ほどなく熊野神社へ着いた。ここには大きな鳥居がある。下記の資料によると、「熊野神社は当初権現山にあったが、江戸中期に金蔵院境内に移った。その後、神仏分離令により金蔵院から分かれた。戦後、米国駐留軍により接収されたため西神奈川町に遷座し、接収解除後昭和三八年八月現社殿を完成した。」とある。境内には戦火に耐えたイチョウの古木が残っている。
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熊野神社の鳥居

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本殿

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戦火に耐えたイチョウ:焦げた跡が残っている
 
撮影:527

  記  平成3061日(金)