公園の草木

公園の草木の観察記録を書いています。

養老渓谷 紅葉紀行 6

1217日(木)
 
 中瀬の入り口へ入ると、川に石畳が並べられていた。この石を伝わり、川を渡れる仕組みになっている。ここから紅葉を通して観音橋が見える。「きれいな橋だなぁ」と思わす、ため息をついた。石畳を渡り始めると、堰き止められて流れる水が、白色の飛沫を飛ばしていた。川を渡っている実感が湧いてくる。こういう経験は滅多に出来ない。ここからは紅葉に包まれた遊歩道が続く。どんな紅葉の景色が出てくるか楽しみになる。
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中瀬の入り口から見る観音橋

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養老川を渡る石畳

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石畳から見た下流
 
 石畳から下流を見ると、紅葉したカエデが水面を覆い被さるように伸びている。いい景色だ。養老渓谷らしい景色である。弘文洞まではと気持ちが焦る。中瀬キャンプ場に着いた。懐かしいキャンプ場だが、記憶と少し違っている。子供たちとキャンプをしてから40年以上経つ。場所が全く変わっても不思議ではない。「それでも違いすぎる」と、思いが消えない。そのうち違うキャンプ場が現れてくることを期待しながら進んだ。右に広場が現れてきた。「ここかなぁ」という思いがした。改めて見ると、狭い。でも川の傍の広場であることは合っている。川を見た。川は大分下を流れている。広場で遊びながら川へ下りて行った記憶がある。川はこんなに下だったかなぁ。もっと広場に近かった気がする。昔、この辺に大水が出た時があった。集中豪雨などがあれば、この辺は地形が変わりやすい。年数がたっているから、このように変わってしまうことも納得できる。
 第2番目の石畳を渡った。道が左に曲がっているところに立札があり、人が集まっている。ここが、弘文洞跡らしいことが分かる。立札を見た。「弘文洞跡」と書かれている。
ウイキペディアによると「1979年(昭和54年)524日の未明に突如上部が崩落し、現在の姿となった。今も独特の風景を作り出している・・・ 
 頭には、崩落前の弘文洞が残されている。上の部分がなくなり視野が開けた別の景色が出現している。川の遠方もよく見えるようになっている。下に石などが散乱しているが、崩落時の残骸が残されているのかもしれない。弘文洞の新しい思い出がつくられた。
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弘文洞跡
 

 撮影:12月4日

養老渓谷紅葉紀行 7 へつづく


  記  平成27124日(金)