公園の草木

公園の草木の観察記録を書いています。

市原市立加茂中学校 同窓会

1月16日(木)

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五井駅                      小湊線車両
 
 15時に、五井駅の東階段を下りて行った。東口広場は広く開発され、バスターミナルなどが駅舎近くに設置されている。以前に、ここに下り立ったのは、平成11年1月5日だった。それから3年ぶりにここに立った。周りの風景はほとんど変化していないように見えた。待ち合わせの時間まではまだ少々ある。実はJRの到着時刻を、小湊線の出発時刻と間違えて伝えたことで、この空白の時間が出来てしまった。連絡後気がついたが、夜が遅かったので、そのままにしておいた。30分ぐらいなので、軽食でも取っていれば、すぐに待ち合わせの時刻が来るぐらいに考えていた。
 久しぶりに見る小湊線の車両がホームについている。下半分が赤色で、上半分がクリーム色の色彩は昔から変わっていない。連結車両が2両というのも全く変わっていない。この懐かしい車両を撮影した。左側には車庫があり、そこに何両かの車両が待機している。この中には長年走り続けたせいか、色あせた車両もある。
 まだ少し時間があるので、直ぐ近くの店に入り、暖かい缶コーヒーを購入し、店内の席に着いた。コーヒーを飲みながら到着を知らせる電話をかけるために、J子さんの携帯番号のメモを取り出し、1数字ずつ打ち込んだ。普段携帯を使わないので、打ち込むのに時間がかかった。「ブー、ブー」の音の後、電話が通じた。今着いたことを連絡すると、J子さんから「私も今着いたところです。階段のところで待っています」と連絡があった。店のガラス越しに広場を見ると、何台かの車が階段近くに止まっている。先ほど目の前を赤い車が通って駐車したのを見た。もしかしたら、あの赤い車ではないかと、急いで残りのコーヒーを飲み干し、店を出た。赤い車へ近づくと、一人の女の人が自動販売機へ近づいていた。その女性から「先生」と声をかけられた。そこで初めて、自動販売機のところにいた女性がJ子さんであることが分かった。3年ぶりに合うので、遠くからはJ子さんであることが分からなかった。
  「どうぞ」と進められ、赤い車に乗った。荷物は後部席へ置いた。車は五井駅を出て、同窓会会場を目指して走り出した。駅前からはしばらく巾の広い直線道路が続く。道路がいいので車のスピードが上がってくる。30kmから40km・・・とぐんぐん上がる。海土有木辺りを過ぎると小湊線を左に見て車は平行に進んでいく。小湊鉄道が走ってくれば、ローカル線だけに競争でもしたくなる。道は真っ直ぐで、左右に田園風景が広がっている。冬場の田園には緑がなく、農家の人もしばらくの間は放り離して置くと見え、灰色の土の中に枯れ草が無数に倒れている。活動を休止した田園風景には物悲しさが漂っている。
 牛久の町が見えてきた。内陸に出来た田舎町である。小さいながらも商店街になっている。ここで小湊線の踏切を渡り、左へ折れていく。しばらくすると家並みは途絶え、道も緩やかな坂道になってくる。いまは舗装され、車も走りやすくなったが、一昔前は砂利道が続き、車も激しく揺れた。バイクでは車輪が取られそうになるような道であった。道がよくなったので、J子さんの車はぐんぐん緩やかな斜面を登って行く。高滝、高滝湖の文字が見えてくる。加茂へ入ったことが分かる。景色そのものには大きな変化がないが。工場や建物が増えてきているように思えた。里見駅を右に見て車は進む。斜面の勾配が徐々に大きくなってきた。この辺りの沿線には、春に沢山の菜の花が咲く。黄色い花の中を進む赤とクリーム色の小湊線がクローズアップされ、美しい景色をつくり出す。M先生をはじめ多くのボランティアさんの尽力で房総半島の花の名所となりつつある。土手には緑の葉が出始めてきたようにも見える。
 加茂中学校を通過した。冬の日光が降り注いでいる。白色の校舎は40年前とほとんど変わらない。正面の玄関が見えた。右端が職員の玄関で、左が生徒の玄関であることも全く変わっていないようだ。門を過ぎると、広い校庭が広がっている。道路と校庭の境には長いフェンスが張られている。今夜集まる生徒、先生はここで毎日学習、運動に励んだ。私もこのグランドで汗を流した。去りし日の思い出が蘇ってくる。左にグランドを見て、右に大きな崖を見る。この崖は学校へ通じる道をつくるために、山を切りひらき出来た。当時は、赤土がむき出しになっていて、平行に進む地層がよく見えた。いまは、大きな樹木も出て、緑の森のように変わっている。40年の年の流れがここに見られる。
 大戸の橋を渡ると、急坂となる。体育の授業では、この急坂を生徒はよく走らされた。走らせたM先生も今日は来ることになっている。ここの坂を上りきると、山間部へ入った風景に変わる。道は山の谷にあるので、急に視野は狭まってくる。左上に里見小学校がある。また、合い向かいには、昔私の勤める加茂中学校里見校舎があった。下から見たところではその面影がまだ残されている。一時売りに出されたことを聞いたが、今はどうなっているのだろう。懐かしい思い出が残されているので、気にはなる。宿直のとき、真っ暗で誰もいなくなった校舎の廊下を歩くと、キュ、キュと床板がきしむ音がした。そんなときは、「誰かが近くにいるのでは?」そんな錯覚をし、慣れるまで怖い思いをした記憶も残っている。
 この辺を徳氏という。右下に養老川が蛇行しているのが見える。この車道から崖を降りると、川へすぐに出ることが出来る。川幅はそれほど広くはない。川が曲がるところでは、水の流れがぶつかる側は崖になり、その反対側は砂がたまっている。ここへ降りて学習したことを思い出す。
 ここから道は緩やかな下りとなる。一旦離れた小湊線が近づき月崎へと出る。右に折れ進んでいくと月崎の駅に出て、その先は久留里へと通じている。車はここを真っ直ぐ進む。田淵を過ぎ、国本へ入る。左に険しい崖が多くなり、道がくねってくる。崖はコンクリートで葺かれていて、上が分からないくらい高くなってくる。いわゆる切通しになっている。大久保、折津を通るころは険しい崖がさらに険しくなってくる。吹き付けのコンクリートが剥げそうになっているところも見える。
 石神に出ると、道は緩やかになる。養老渓谷の1つの峠へ近づいたことが分かる。道が平坦になり、家の数が増えてくる。ちらほら商店の看板なども現れる。小さな町へ近づいている。家並みを抜けると、右側に養老渓谷駅が見える。小さな駅だが、この辺りの唯一の観光地の駅だけあって、人を引き寄せる明るいつくりになっている。
  踏切を渡ると、ここからは下り坂になる。車が踏み切りを渡り始めたとき、左側の中野へ通じる線路がない異常さに気がついた。昨年の台風の後遺症でまだ復旧されてないと聞いたが、ここから先がその現場かと思った。踏切を渡り、少し車が進むと、大きな崖が曲がりながら続く。道も細く見通しが悪くなってくる。戸面に入ると、温泉旅館などの看板が見えてくる。養老渓谷の温泉街の中心部へ入ってきたことが分かる。鶴乃家、養老館、嵯峨和、天龍荘・・・と懐かしい温泉旅館が続く。養老館の裏では、今日会う生徒たちと、夏休みにキャンプをした思い出がある。テントを張り、川で泳ぎ、カレーをつくって食べた。楽しかった思い出が残っている。温泉街を貫けると、再び道は上り坂になる。この辺は千葉県の中央付近に当たり、房総の屋根になる。車は老川の十字路へ出た。ここにいま来た道を横断する道がある。
 前回はこの横断する道を右へ進んだところにある流水の宿「福水」でクラス会が行われた。今回の会場はさらに奥になる。老川十字路から車は急斜面を登った。道は細いが対向車がほとんどない。車はスピードを上げていく。民家はちらほらとしか現れない。山間部の景色が連続していく。粟又の滝は、老川からそれほど離れていないと思ったが、けっこう距離がある。まだ着く気配がないと思っているうちに、車は左にカーブした。すると、目の前に突然滝見苑が現れた。滝見苑は大きな崖の上につくられた旅館である。粟又の滝は真下にある。40年前は粟又の滝といっても、旅館や茶店はなかった。道の脇にちょっとした広場あり、車が数台止まれるに過ぎなかった。だから、訪れる人は少なかったと思う。今は、養老渓谷の大きな観光地となっている。滝見苑へ着くと、車がつながった。ほとんどは今夜の同窓会のメンバーの車である。
 車から降りると、懐かしい顔が見えてきた。「先生、お久しぶりです」Rさんの顔である。S子さんの顔もある。坂道を降り、滝見苑の入り口へ進んでいった。入り口では、受付に人が沢山集まっていた。幹事さんが手際よく受付を進めていた。J子さんは友達と再会し、みんなの輪へ入っていった。私は幹事さんの案内で、ラウンジの方へ入った。そこには、M先生、H先生が早くから来ていた。私はそこの席に着き、久しぶりの再会の挨拶をし、くつろいだ。幹事のIさん、Mさんがやってきた。「遠いところご苦労様です」と話しかけてきた。懐かしい顔である。Tさんがきた。「バスに誰も乗っていないので、どうしたのか、と思った」と話した。Rさんも「久しぶりです」と話しかけてきた。しばらくすると、幹事さんが来て、「会場の準備が出来たらご案内をするので、それまでここで待機していて下さい」と連絡に来た。3人の先生は、しばらく歓談した。
 受付付近にかたまっていた人が少しずつ少なくなってきた。皆さんが会場へ入り始めたことが分かる。まもなくすると、幹事さんが「お待たせしました。会場へご案内します」と先導してくれた。私、M先生、H先生の三人は後について会場を目指した。ふすまを開けると、大きな部屋いっぱいに、皆さんが着席し、拍手で迎えてくれた。感極まる一瞬である。三人は一人ずつ少し間を置いて、自分たちの席へ進んでいった。
 
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 今回の幹事さん
 
 ステージの背面には「第7回加茂中学校昭和45年度卒業生同窓会」と今回の会の内容が添付されていた。9人の幹事さんがステージに上がり会の進行を始めた。皆さんの顔には笑顔がいっぱいあふれている。
 I幹事長の皆さんを歓迎する挨拶が始まり、今回の幹事の面々が紹介された。続いて、先生方の紹介と挨拶が行われた。
 
私の話
 時間が出来たので、町会、公園の管理等ボランティア活動をしている。昨日の夜、今日の午前中と地区連合自治会の賀詞交換の準備をしてきた。日頃は、本を読んだり、野外観察などをしながらインターネットに流したりしている。自分なりには充実していると思っている。
M先生の話
 加茂地区は過疎化が進み人口が少なくなってきている。全小学校が中学校に統合され、加茂学園としてスタートしているが、生徒数が激減している。現在の状況が進むと将来どうなるのか心配である。多くの人がふるさとを目指し、戻ってきて欲しい。みんなの手で加茂を活性化したい。
H先生の話、
 塾などの仕事をやめ、2年に1度の外国旅行を続けている。家では介護に励んでいる。皆さんも定年近くなってきたので、いまの内から将来設計を考えることが大切と思う。何にもすることがないと、直ぐ老化してしまう恐れがある。
 
 いよいよ乾杯に入る。ステージ中央にH先生が立たれている。一段落したこともあり、会場がざわめいた。隣同士が雑談を始めたためである。マイクの調子が悪いのかH先生の声が通りにくかった。そのうち正面を注目し始め、乾杯が始まった。コップを高く持ち上げ、近く同士、「カチーン」とコップを合わせた。気持ちのいい1杯がのどを潤した。料理の追加、ビール、お酒の追加がきた。会食をしながら、お酒を飲み、歓談が始まった。会場の皆さんにはこの3年間の懐かしい思いがいっぱい包まれている。この思い出を一気に吐き出そうと、会場が賑やかになった。みんなの顔に笑顔があふれている。話している言葉を聴いていると、あそこにあの人がいる、ここにあの人がいる」ということが分かってくる。一先ず、目の前にある。食べ物に手をつけ、空腹を満たした。腹が出来ると、思い出を話し合うことになる。皆さん年齢も高くなってきて、お孫さんのいる人も何人かいる。話の内容も、自分自身のこと、仕事のこと、家族のこと・・・と多様化していている。
 時間が経つにつれ、座席が動き出した。話をしたい人を見つけ移動し、思い出話が始まる。そこにまた新しい人が加わってくる。1つの小さな輪が出来る。こんな風景かがそこここに出来ている。三人の先生の方にも次から次へと教え子がやってくる。1杯のビールが2杯のビールへと続いていく。3年経つと、名前が分からなくなってしまう人出てくる。しかし、話していくと、一つ一つの紐がつながっていき、顔と名前が重なる。お互いが感激する一瞬である。
 私は各場所を回り一人ひとりの表情を写真に収めた。写真に入る一人ひとりの顔が懐かしい。この顔は・・・で、こちらは・・・である。と確認しながら写真に収めた。
 
歓談風景
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 8時を過ぎても、歓談は収まる気配がない。3年間の空間を埋めるのは短時間では出来ない。いくら時間があっても尽きない。幹事さんの方で、名残は尽きないが続きは二次会でしましょうと提案し、一次会を終了することになった。そして、次回の幹事さんの紹介と、次回から2年おきに開催しましょうとの提案があり、最後に懐かしい校歌をみんなで歌うことになった。
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校歌を唄う風景 
 
加茂中学校校歌
 
加茂の学び舎よ たすけあって みがきあって ひかりの道を進む
くろがねの かいなの示す 蛍雪の窓
英知の蝶は舞あがり 大空に描く悠久の真理
そのまなこの光 そのつきあげるこぶしの汗
養老の川に集まる 水は世界を結ぶ
おおたくましく ほこらかに
学び舎の鐘 音さえる朝 学び舎の鐘 音さえる朝
 
 楽しいクラス会が終わった。送迎のバスに乗る人、車で相乗りして帰る人と多くの人が楽しい思い出を土産に、「3年後に会いましょう」の言葉を交わし、宿を後にした。
 
 みんなの心には、懐かしい友と語り合った楽しかったひと時の余韻が続く。30人近くの人が二次会に集まった。座敷席からテーブル席へと会場が変わった。二次会に集まった人には泊まる人が多い。新しくビールやお酒がテーブルに並べられた。小さいときのこと、中学校のときの出来事、家庭のこと、仕事のこと、親のこと・・・と話の内容は尽きない。中学校のときの話題が上ると、私にも、当時のことが鮮明になってくる。みんないろいろなことを覚えている。一つ一つを合わせると、当時のことが現実のようになってくる。みんな懐かしい、懐かしいと思っている。
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二次会の一こま 
 
 10時を過ぎ、二次会も終了になった。懐かしい思い出、近況を話してくれたTさん、Rさんも車に乗り、帰った。見送りに外へ出ると、風はないが寒かった。ビールで熱った顔を冷気が通り抜けた。。
 皆と別れ、温泉へ入った。時刻が時刻なので入っている人は少なかった。湯船に漬かると、温泉の温かさが伝わってきた。その温かさは先ほど終えたクラス会の皆さんの心の温かさのようにも感じられた。しばらく沈み、からだを温めた。温泉のお湯の注ぎ口からの音が聞こえてくる。新しいお湯の流れの波が温かさを運んでくれる。突然「ざっぶん」と湯面に音が響いた。湯船の中にいた人が立ち上がったのである。大きな波が押し寄せてきた。第1波、第2波、第3波・・・と続き波は静まった。湯船の壁を這い上る波を見ていたとき、クラス会で話題になった、3年前の津波のことを思い出していた。しばらくすると、二次会を終えた面々が何人か入ってきて湯船は賑やかになった。
 翌日、早く目が覚めた。このところ夜更かしをするせいか、家では早く起きることが出来なかった。温泉に入り、静かな環境で床に入ったので、熟睡できたのかもしれない。カーテンを開けると、東の方の民家に朝日が照らしていた。きれいな山村の風景が脳裏に刻まれた。山と樹木、民家・・・こういう風景は人の心を穏やかにさせる力を持っている。長いこと高層ビルの谷間で生活していると、人としての本来の生き方が失われていくような気がする。
 朝食まで、しばらく時間がありそうなで、昨日電車の中で読み続けた本の続きを読み出した。「漱石の友人、須永の話で、須永と従妹千代子の結婚の噂のことが展開されている」この先どうなっていくのか、と読み進んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。「呼びにきてくれた」と思いドアを開けた。その通り、Iさんが「先生食事を」と声をかけてくれた。
 私は、本を読むのをやめ、食事へ行く準備を始めた。準備といっても、何もすることはない。貴重品だけを持って出て行くだけだ。静かな旅館だが、廊下が迷路のようになっている。階段を降りはじめると、何だか暗いところへ出て行きそうな気がしてきて、この階段を下りたのでは2階へ行けそうもないと判断して、元へ戻った。そしてエレベータを利用して2階へ降りた。部屋へ入ると、既にみんな集まり、食事をしていた。早い人は食事を済ませ、部屋へ帰り始めていた。「先生、お早うございます」と多くの人から声をかけられた。「お早うございます」と応え、席に着こうとすると、Kさんが「先生、隣へ」と声をかけてくれたので、それに従った。Kさんは親切に大根おろしへ醤油をかけてくれた。「いただきます」とささやき、食事を始めた。テーブルには沢山の料理が出されていた。どれもがいい味をしていて、のどを通っていった。量があるので、中々減っていかない。先に来ていた人は食事を終え、各部屋へ立っていった。私は遅れてきたこともあり、最後になった。
 食事を終え部屋へ戻った。寝具を整えたり、歯磨きをしたりし、帰りの準備を始めた。先ほどから、「帰りにはJ子さんが五井まで送ることになっているから」と伝えてくれていた。私は申し訳ないが、甘えることにした。準備を整え、ラウンジへ向かった。男子はほとんど集まっていたようだ。Iさんがコーヒーを持ってきてくれ、しきりにJ子さんが来るのに気を配ってくれていた。「女の人は話が長いのだから・・・」とか「身支度に時間がかかる・・・」とか噂話がされた。まもなくJ子さんたちの姿がそろって現れた。「お待たせしました」、「先生、見送るから」とH子さんが言った。ありがたい言葉である。何時までもこのままで居たいのは、みんな同じ心だろう。しかし、ここで別れるしかない。寂しいが、3年後を楽しみに別れることになった。皆そろって駐車場へ向かった。それぞれが自分の車へ乗った。私も送ってくれるJ子さんの車へ乗った。車は走り出した。皆が別々になった。
 いまは、隣でJ子さんが運転している。時間が何時もより早く過ぎていくように思える。あっという間に老川の交差点へ来た。ここを折れて、昨日来た道を戻っていく。トンネルを抜けると、養老渓谷の駅も近いと思えてきた。険しく続く崖、山に伸びている杉の樹木や民家などを懐かしく眺めていると、いつの間にか養老渓谷の駅を過ぎていた。ここからも懐かしい景色が続く、昨日見た景色と全く同じ景色だが、懐かしい景色であることには変わりがない。この道、あの道、向こうに見える道も40年前、バイクに乗り、通った記憶がある。「近づけるものなら、近づきたい」そんな思いを頭に浮かべながら、昔の在りし日を辿っていた。
 加茂中学校を右手に見た。昨日は、人が見えず、広々とした校庭だったが、今日は少年のサッカーがあるのだろうか、多くの人が出て賑わっていた。「昔もあのような風景だったのかなぁ」という思いが横切った。里見、高滝も過ぎ去った。右に高滝湖の湖水が見える。きれいな青い色の平面をしている。ゴルフ場も過ぎ去った。車は牛久へ出て、さらに速く進んでいるように見える。小湊線のレールが近づいた。真っ直ぐに五井方面へ続いている。右に駅が見えてきた。光風台駅である。新駅である。調べると、1976年(昭和51年)1223日 開業という。前方に見える大きな団地の造成に伴い新設されたという。ここまでくると、もう加茂の景色の名残は消えてしまった。
 
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粟又の滝
 
 
  記  平成26年1月16日(木)