養老渓谷から福水旅館
温泉街に出て、養老館、嵯峨和の旅館が右側に見えてきた。
昔の木造づくりとは違い、規模が大きくなっていた。
昔はよくここへ来て慰労会をした。
また、養老館の裏のキャンプ場では、クラスキャンプをした。
思い出深いところである。
旅館街を後にし、車はさらに進み、交差点に出た。
ここに道はなかったと思うが、どうやら新しくできた旅館へ通じる道らしい。
ここに道はなかったと思うが、どうやら新しくできた旅館へ通じる道らしい。
車は右折した。直ぐ右側に、今日の目的地である「福水旅館」が見えた。
駐車場には、既に何台かの車が止まっていた。
旅館へ入る準備をしていると、今日の仲間たちを乗せたマイクロバスが到着した。
4時30分、会が始まるまでにまだ少し時間がある。
私は案内された部屋に入り、時間を待った。
「山吹」の部屋で、元同僚の職員の到着を待った。
「山吹」の部屋で、元同僚の職員の到着を待った。
一人でいると何となく心細いものである。
K先生が案内され現れた。
先生はお元気そうで、人権擁護委員を長く続けられてきていることです。
今年は退職校長会の副会長を引き受けるとのことです。
ますますご活躍されそうです。
K先生につづきH先生が案内されてきた。
H先生は、私が加茂中を去ってから来られた先生です。
従って、先生については詳しく知りません。
でも、先生とは、今日で四回目のクラス会になります。
加茂地区に住んでおり、地元の人のようです。
最後に、M先生が見えました。
先生は地元の人であり、教え子を引き込みながら幅広く活躍されています。
幹事の方がクラス会の開始を告げに来てくれました。
私は会場に最後に入りました。
皆さんが拍手で迎えてくれました。
感動する一瞬です。
Kさんの司会で会が始まりました。
今回の幹事長Tさんが挨拶に立ちました。
乾杯の音頭はK先生です。
「皆さんの活躍と健康を祈願して、乾杯」
飲み物をのどに湿らせみんなひと息しました。
「先生方から一言お願いします。」
K先生が最初に挨拶に立ちました。
先生は人権指導員をしていることを話されました。
そして、今日は、今まで実践したことを冊子にまとめたので、
皆さんに一読してもらえたらと言われました。
K先生に続いて私が挨拶に立ちました。
私は、幹事の皆さんにお礼を言い、
まだ現役で仕事をしていることを話しました。
私の次には、M先生が挨拶に立ちました。
先生は加茂中の部活動後援会のことを話されました。
先生は加茂中の部活動後援会のことを話されました。
駅伝チームのコーチを引き受け、
今年は上位に躍進させたことを話されました。
最後は、H先生が挨拶に立ちました。
先生は家庭のことを話題にし、
お年寄りの介護をされていることを話されました。
それぞれの先生の挨拶が終わり、
会は懇談に入り、盛り上がってきました。
ビールや日本酒を注ぎ合い、各自の思いを語り合いました。
たくさんのかつての生徒がお酌に来てくれた。
たくさんのかつての生徒がお酌に来てくれた。
みんなそれぞれ立派になり、社会の中心的な存在になっていた。
子宝に恵まれた人もいる。
事業を始め成功した人もいる。
学校の先生になり、校長までのぼりつめた人が三人もいた。
地元を離れた人も参加してくれた。
みんなが同じ立場を認めあい、和気あいあいに話が弾んでいた。
男子も女子も一カ所に固まることなく、自由に席を交換しあい語り合っていた。
一次会の終了が何時だったか、時の経つのが分からなかった。
最後に感謝の意を私が伝えることになりました。
「皆さん、今日は本当にありがとうございました。
幹事の方いろいろとご苦労様でした。
皆さんからご連絡をいただけたからこのようにここに来られました。
私は幸せで、感動しています。」
楽しく会を盛り上げてくれた多くの人がそれぞれ帰宅し始めた。
楽しかった思いを
「三年後に繋げよう」
と誓い、
みんなそれぞれの思いを託しながら別れた。
みなさん「ありがとう」私は心の中で叫び続けた。
二次会が行われ、私は参加したが、
楽しく飲んだビールの酔いがまわりはじめ、記憶が無くなってしまった。
翌朝、八時頃朝食を食べに部屋に入ると、
既にほとんどの人が集まっていた。
カニ汁、鮭の塩焼き等沢山の料理が出されていた。
私には十分すぎるほどのボリウムだった。
みんなと美味しく食べ、お腹はいっぱいになった。
朝食を終え、部屋に帰り、帰り支度をした。
忘れ物がないことを確認し、ロビーへ出た。
ロビーでは、皆さん別れを惜しんでいた。
三年後の再会を誓い、一人二人と車に乗り帰った。