公園の草木

公園の草木の観察記録を書いています。

神奈川宿歴史・史跡めぐり 1

529日(火)
 527日(日)、朝から気温が高く、風のない真夏の陽気になった。今日は。神奈川地区社協・連合自治会町内会主催の初めて試みとして、「神奈川宿歴史・史跡めぐり実施」と題し、健康ウォーキングが行われることになっている。
 9時の集合時間には、集合場所の浦島公園へ各町内から多くの参加者が集まってきた。参加者61名、それに神奈川宿を研究するグループからガイドとして6名の人が参加してくれた。開会式後6つのグループに分かれて出発した。
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参加者

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神奈川宿を研究するグループ(ガイドを引き受けてくれた)

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 出発前のグループ打ち合わせ

 国道15号線へ出た。日頃、国道15号線のことを我々は京浜第1国道と呼んでいるし、この名前の方が親しみがあり、愛着がある。また、この道が旧東海道でもある。神奈川宿歴史の道として、京急沿いに焦げ茶色のレンガを敷き詰めた道が整備されているが、この道は本来の東海道ではない。誤解を招かないよう注意が必要である。国道15号線(旧東海道)は神奈川新町交差点から仲木戸の方へ伸びている。街路灯の先端を見ると、青海波があり、その上に亀が載っている。また、車止めの上にも亀が載っている。これらはこの地域に浦島太郎の伝説があることを伝えている。
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 街路灯の先端にある青海波と亀

良泉寺
 鎌倉郡本郷村の某人が本願寺8蓮如上人に帰依し、蓮誉となって小机附近の旧街道筋に草庵を結んだのが始まりで、その後、第四世良念(或は五世ともいう)の代に、徳川家より境内地の寄進を受けて、現在地に移転した。良念は1648年(慶安元年九月二日)に入寂(死去)したというから1648年前に現在地に寺が出来ていたことになる。
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案内板

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 良泉寺を見る参加者

笠䅣神社
 右に入り、京急のガードを潜ると、笠䅣神社がある。笠䅣神社は、天慶年間(938-947)に稲荷山の中腹に創祀(神様を最初にまつること)され、元禄2年(1689山麓遷座し(神仏または天皇の座を他の場所に移す)、明治2年に当地へ遷座した。
 境内には板碑があり、上位に阿弥陀如来像、中位には天蓋を配し、下位中央に「南無阿弥陀仏」の梵字が薬研彫りで刻まれている。中世の薬研彫りを知るうえで貴重な資料だという。
  京急が開設される前までは、今の境内からの参道が坂道となり、国道15号線(旧東海道)へ伸びていた。京急開設当時はこの坂道に新町第2踏切があった。今はガードがつくられ、参道は京急の下を通ることになっている。区画整理前までは途中、2門の鳥居があったと記憶している。笠䅣神社の階段下にはブロック石で青海波が描かれている。
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階段下に描かれた青海波

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 境内で説明を受ける

能満寺
 笠䅣神社から神奈川通公園を抜け、能満寺へ向かった。住人内海甚左衛門の先祖光善(法名海運院光善禪門)が、正安元年(1299)に海中から仏像を発見し開基となり、重蓮法印が開山したという。
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能満寺

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 能満寺へ向かう参加者

 能満寺の隣に神明宮がある。能満寺の案内によると、能満寺は神明宮の別当寺であったという。所謂、能満寺が神明宮を管理していたことになる。先の笠䅣神社の別当も能満寺であった。
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 神明宮

撮影:527

  記  平成30528日(月)