道後温泉駅
3月27日(火)
大街路から路面電車で道後温泉駅へ向かった。ここは小説「坊ちゃん」に登場するところで、夏目漱石はある時は歩き、ある時は軽便鉄道に乗って、毎日のように道後温泉まで通ったという。あの時の軽便鉄道が今の路面電車に発展してきているのではないだろうか。さながら坊ちゃんになったつもりで、路面電車に揺られて道後温泉駅へ着いた。駅舎はどこかの店のようで、鉄道の駅のようには見えなかった。
駅前には足洗湯があり、そこから商店街が真っ直ぐ延び、途中で右へ曲がっている。そのまま進むと、正面に道後温泉本館が現れてくる。道後温泉の開発は道後の初代町長によって行われたという。この建物は明治23年(1890年)に改築が行われ、城大工によって造られた木造三層楼の珍しい建物である。更に人を集めるために道後鉄道株式会社が設立され、軽便鉄道が走り出したという。夏目漱石がこの軽便鉄道を利用していたことになる。
道後温泉本館の裏側の道を隔てたところに坊ちゃんの碑が建てられていた。そこには、坊ちゃんの書き出しが「親譲りの無鉄砲で・・・」と刻されている。道後温泉は夏目漱石によって世に出た街とも言っても過言でないようだ。道後温泉の町の名は、漱石の作品によって、全国に知れ渡る街になったが、「坊ちゃん」の内容はフィクションの部分があり、主人公が漱石とは限らないが、坊ちゃんは学生や教師仲間と上手くいかず、この土地にあまりいい印象を抱いていなかったようだ。それが皮肉にも後世このような評判を呼ぶとは漱石自身も想像していなかっただろう。
坊ちゃんの碑
坊ちゃんの碑から道を隔てた向かい側に高台があり、そこに「湯神社」がある。珍しそうなので、坂を上って行った。案内によると、祭神は、道後温泉を開いた大己貴命と少彦名命の二神になっている。湯神社では、地震などで温泉が止まる度に、神楽を奉納して祈願してきたという。宝永4年(1707年)の地震では藩主の名で「湯祈祷」が行われたという。今でも、正月の初子の神事とともに世に知られているという。
湯神社
資料1によると「宝永4年10月4日(1707年10月28日)、におきた日本史上最大級の地震で、大津波が房総半島から九州に至る太平洋沿岸を襲ったことが分かっている。地震の規模はマグニチュード8.6~8.7と推定されている」と伝えられている。
湯神社の直ぐ近くに「伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)」がある。下から見上げる急勾配の階段は威厳があり、上るのには抵抗があった。数えながら上ると、134段あった。祭神は神功皇后(じんぐうこうごう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、応神天皇(おうじんてんのう)の三柱姫大神(みはしらのひめおおかみだという。中には和算の絵馬の「算額」が展示して有り。興味を誘った。更に煌びやかな神輿が数基展示されていた。
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)
134段の階段
神輿
撮影:3月13日
記 平成30年3月22日(木)