神奈川宿歴史・史跡めぐり 4
6月1日(金)
幸ヶ谷公園を出て本覚寺へ向かった。階段を下り、坂を上って行く。だらだらした坂で、暑さが堪える。この窪地は昔の人が削ったところである。機械のない時代にこれだけの土砂をよく運んだものだと想像に絶する思いがする。坂の頂上には京急の神奈川の駅がある。ここに案内パネルがあった。神奈川の名前が駅名として残されている。
神奈川駅前の案内パネル
ここから青木橋を渡って本覚寺へ進んで行く。今は青木橋という橋がかかっているが昔はここが権現山から高島山へつながる尾根伝いであったように思える。左側に横浜駅があるが。当時はここが海で、大きな入江になっていた。ここから見る横浜の港を想像しながら青木橋を渡って行った。本覚寺はここからさらに上にある。
本覚寺の入り口
本覚寺から見た権現山:この窪地を人が削った
鎌倉時代に臨済宗開祖栄西によって鎌倉時代に草創された。開港当時はアメリカ領事館として使われた。山門の左に、横浜の開港に尽力したが、不幸な障害を強いられた岩瀬肥後守忠震(いわせひごのかみただなり)の顕彰碑がある。
瀬肥後守忠震(いわせひごのかみただなり)の顕彰碑
暑い中を長時間歩いてきたので皆さん疲れている。特に最後の上り坂が身に堪えたので、皆さん日陰にあるベンチに腰掛け休息をとった。
日陰で休息する参加者
奥の方へ進むと、神奈川宿の名物となった万能薬「黒薬」がここの住職のよってつくられていたという碑があった。本覚寺の第十世住職、大定梁国和尚(だいじょうりょうこくおしょう)は、夢枕に現れたお地蔵さまのお告げに従い、何種類もの薬草を集めて「御夢相黒薬」を作り、多くの病人を癒したと伝えられている。
万能薬「黒薬」を伝える碑
撮影:5月27日
記 平成30年5月31日(木)